悪はいつか罰せられる
天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず。
最近学んだこの言葉は、9年前の僕と重なったことからお気に入りの言葉になりました。
当時中学生だった僕は、テニス部に所属していたのですが、その部内で中々ひどい虐めがありました。
それは、虐め対象を脅して様々なことを命令するといった感じです。
命令内容には色々あり、お金を持ってこさせたり・廊下で土下座させたまま放置させたり・教室内で奇声を発せさせたりといった感じでした。
改めて思い返すと腹が立ちますね。
さらに、ひどい現実が虐めている首謀者が成績もよく周りの生徒や教師から厚い信頼を勝ち得ていたことでした。
しかも僕の中学初めての親友だったのです。
だから、誰にも咎められることなく悠々と虐めができていたのです。
ただ、驚くことにこの物語の結末は首謀者が罰せられるという形で終わりました。
どうして?誰に?
僕です。結局、親友の僕が我慢できずに首謀者をぶん殴ることでこの物語は終わりました。
学生故に殴っても社会のルールが適用されなかったのは唯一の救いでしたね(笑)
なので、悪事は結局誰かしらに罰せられるものだと僕は思います。
そして、今回書庫から持ってきた【オーデュボンの祈り】でもさっき話した僕のような人物が登場し、罰します。
どうして?誰に?
それは、読んでからのお楽しみ。
遠い昔ここではない土地でオーデュボンは祈る、リョコウバトが絶滅しないことを。
そして、時は流れ孤島の荻島に立つ案山子の優牛(ユウゴ)も同じく祈る。そんな案山子のもとに招かれる伊藤。優牛は彼の来訪を100年も前から知りそして待っていた。そして自分の思いを託す。この島に欠けているものを見つけてほしいと。
【駆け出し小説家による意見】
まず今回の、【オーデュボンの祈り】は伊坂幸太郎先生のデビュー作であり始まりの作品ですので敬意をもって読ませていただきました。
その中で、感じたポイントがいいところ悪いところ含め3か所ありました。
- イメージしにくい言い回しと急な視点の転換
1作品目だからだと思うのですが、状況表現の文章がスッと入ってこないことで状況のイメージが難しい個所が何か所かありました。僕が目指す小説が、誰が読んでも一度でイメージができる文章で表現することなので、句読点をつける箇所や文章を分けるといった些細なポイントが大切になると思いました。ただ、情景に合わせて文章を分ける難しさも理解しています。
そして、急な視点転換があったのですが、そこの場面では途中まで読み進めないと視点が変わってると気づかなかったです。ですので、実際に視点転換を行うときは、その転換の初めに一目読んでわかる構成のほうがいいのかなと思いました。例えば、前文で登場していない主語を用いることや思い切って文の始まりの前に(ここからは視点が変わります)みたいな物言いをしてみるとかですね(笑)
- 時間軸の転換回数が多い
【アイネクライネナハトムジーク】でも話したと思うのですが、今回の作品も時間軸の転換が多いと思ったのと同時に、短い文章(5~6行ほど)のために転換しているのを見るとスマートじゃないかなと感じました。回りくどくなくスマートな小説のほうが飽きないと思うので、この点は称賛できなかったです。
- ユーモアあふれる世界観
①と②で批判的な意見をあげたように構成や表現の仕方よりも、今回は世界観の美しさにはまったので好きな作品だなと僕は感じました。そして、読み終えたときには、心が朝日を拝んだ時のように清々しくなり、未来に明るい希望を抱けるような感覚になりました。
だけど、世界観だけで見ると今まで読んできた小説の中で一番好きな世界観です。
【最後に】
お疲れ様です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
天網恢恢疎にして漏らさず。
皆さんはこの言葉を知っていましたか?僕は、伊坂幸太郎先生の作品を読んで初めて知りました(笑)この言葉は、【火星に住むつもりかい?】と【オーデュボンの祈り】の二作品に渡り用いられていました。
そして、伊坂幸太郎先生の作品ではよく最低で下劣な人間が罰せられることを合わせると、この言葉(思想)がお気に入りなんじゃないかと僕はひっそり想ってます。
さて、今回はこの辺りで終わりにしようかなと思います。次は、【週末のフール】を持ってこようと思っていますので、ぜひ読みに来てくださいね。
それでは、さらばだ~